『八日目の蝉』は何が言いたい?あらすじと感想レビュー!🌻自分の幸福度は他人によって定義されてしまう部分も多いことを知れる1冊

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門田光代さん作の『八日目の蝉』の原作本を読んだ感想についてまとめています!

この作品は、どの登場人物に感情移入して読むかで感想が変わるのが最大の魅力です。
読んだときの自分の年齢や状況によって、全く違う感想を抱くと思います。

誘拐犯である希和子に同情してしまったり、恵里菜の母親の立場で強い怒りを感じたり、母性について深く考えさせられたり...

この記事では、誘拐された少女:恵里菜の視点での感想についてまとめています。

あらすじ

この物語は、大きく分けると2部構成になっています。

 赤ん坊の恵里菜(薫)を誘拐した希和子の逃亡劇

 大人になった恵里菜の物語

 

野々宮希和子は、会社で知り合った秋山丈博と不倫関係にありました。
妊娠と中絶を経験し子どもを産めない体になってしまった希和子は、秋山丈博が妻との間に子ども(恵里菜)を授かったことを知ります。

 

自分は生めなかった赤ん坊を、ひと目だけ見てみたい。その思いに突き動かされた希和子は、秋山丈博の自宅にこっそりと忍び込みます。
しかし初めて目にした赤ん坊に笑いかけられた希和子は、思わず赤ん坊を抱きかかえて家から連れ去ってしまいます。

 

誘拐犯となった希和子は赤ん坊の恵里菜に、自分の子どもに名付ける予定だった『薫』という名前をつけます。

 

その後、約5年間にわたり希和子は『薫の母親』として生活を送ります。
東京から名古屋まで逃げ、最終的には小豆島にたどり着きます。

 

温かい雰囲気のある島で自分の娘として薫を育てる希和子でしたが、その逃亡生活は終わりを告げます。

 

薫として育てられた恵里菜は、秋本家に戻ります。
物語の後半は、大人になった恵里菜の視点から展開していきます。

 

感想(ネタバレあり)

恵里菜の視点で物語を読むと『自分の幸福度は他人によって定義されている部分も多い』ということを改めて感じます。

 

あくまでも個人的な感想にはなりますが『自分が幸せならそれでいいじゃん!』が実際には難しいということが、とてもよく分かる1冊だと思いました。

 

『他人にどう思われても自分が幸せならそれでいいじゃん』ってよく聞く言葉ですよね。
でもそれは簡単なようで、実際にはとても難しいことだと思います。

 

いくら自分が幸せだと思っていても、たとえば社会的に肩身が狭かったり、親族から色々と言われたり、他人から同情されたりした時点で『自分自身の幸福度も下がる』ような気持ちになってしまうことはありませんか?

 

『気にするな』というのはとても簡単だけど『本当に全く気にしない』ということは、多くの人にとってはとても難しいことのように思います。

 

『八日目の蝉』は、この葛藤ともいえる部分がとても上手に表現されていると思いました。
題材に『誘拐』を使ったことで賛否が分かれることもありますが、主人公の恵里菜は誘拐されている間の不幸だった記憶は何もないんです。

 

恵里菜は希和子の実の子どもとして育てられていたので、最終的にたどり着いた小豆島ではごく普通の日常生活を送ることができていました。

 

最終的に母親だと思っていた希和子と引き離されるという辛い経験はしていますが、そのときの傷が大人になった恵里菜を苦しめているかというと、そういうわけでもないと思います。

 

このあたりは個人の解釈次第かなと思いますが、大人になった恵里菜の心の部分に大きな影響を与えたのは『誘拐された子』という1つのレッテルかなと思いました。

 

恵里菜自身が前向きに自分の母親とコミュニケーションをとろうとしても、実の母親は『誘拐された』という事実を決して忘れてはくれません。

 

恵里菜は誘拐されていたとはいえ、赤の他人に同情され続けるほど辛い生活を強いられていたわけでもないのに、世間からはずっと被害者という目で見られます。

 

めちゃくちゃ生きづらいですよね。
まぁそのような環境を作ったのは、誘拐という罪を犯した希和子ではあるんですけど。

 

自分のなかにそれほど不幸な記憶がなくても、周りから同情されればされるほど『私は可哀想なんだ。普通じゃないんだ。私の今の苦しみは、過去に誘拐されていたからなんだ』という考えに縛りつけられる。

 

冒頭にも書きましたが、自分の感情を自分のものさして定義することの難しさを感じました。

 

私がこの小説が好きなのは、救いがあるラストの描き方にいつも泣けるからです🍄

 

小説のラストで恵里菜は自分の本当の気持ちを直視し、受け入れる形で終わります。
最後に描かれているのは『希和子を許す』とか、そんな感情ではありません。

 

小豆島を訪れるためにフェリーに乗った恵里菜は、懐かしい海や温かい町の香りを肌で感じます。

 

『私はこの島に戻ってきたかったんだ』という自分の気持ちを受け入れる様子が描かれています。


恵里菜はこのとき、世間から見られている『誘拐されて可哀想な子供時代を送った自分』ではなくて『小豆島でたくさんの人に愛されて幸せに過ごしていた自分』を初めて受け入れることができたのかなと思いました。

 

希和子の罪がどうこうではなくて、あくまでも恵里菜が自分の感情に重きを置いているという描かれ方が私はとても好きです。

 

1度読むと心に残り続ける素敵な小説だと思います🍄
ラストの受け取り方も人ぞれぞれ解釈が違うと思うので、ぜひ1度読んでみてください

 

映画と小説の違い

『八日目の蝉』は、映画化もされています。

 

誘拐犯である希和子は、 永作博美さん。
主人公の恵里菜は、井上真央さんが演じられています。

 

映画版は、ラストの描かれ方が小説と少しだけ違います。
私は映画版の終わり方もとても好きです🍄

 

映画版では『愛された記憶の尊さ』がストレートに表現されていると思いました。
小豆島を訪れた恵里菜は『愛されていた自分』を思い出します。

 

子どもを身ごもった恵里菜は、自分が母親になれるのかとても不安に思っていました。
でも愛されていた記憶が自分の中にちゃんと残っていることを思い出し『私はこの子を愛せる』と言葉にします。

 

『誰かに愛された記憶はとても尊い』ということが伝わるとともに、大切な人に愛情をそそぐことの素晴らしさを感じることのできる素敵なラストだと思いました🍄

 

まとめ【生きづらいと感じるときにおすすめの1冊】

先ほども少し触れましたが、この小説は誘拐を美化しているという意見もあるみたいですね。
ただ、小説はあくまでもフィクションの世界だと思ってるので。

 

フィクションの世界で色々な世界観を表現するのが小説なので、それについてはなんとも言えないなと思っています。

 

ただ、希和子の恵里菜に対する愛情の描かれ方はすごいです。
この記事では恵里菜の視点から思ったことについて感想をまとめたのであまり触れていませんが、文章でここまで温かい愛情が表現できるってすごいなと思いました。

 

希和子は誘拐という身勝手な行動をしているので同情はできませんが、心を打つものはあるので複雑な感情になると思います。

 

また『八日目の蝉』は、誘拐されたという事実しか見ない世間の目が恵里菜に与える影響についても描いている部分があります。

 

私たちの日常生活と似ている部分がありますよね。
私たちの感情とかは関係なく、勝手に想像して勝手に決めつけて噂話を楽しんでいるおばさまとか、普通にいるだろうなと思います。笑

 

私はさきほど『他人にどう思われても自分が幸せならそれでいいじゃん』ってよく聞く言葉だけど、それは簡単なようで難しいことだと思うと書きました。

 

私と同じように『他人からどう思われるか気にしてしまうことが多い』という方は、きっとこの小説は心に響くと思います。
小説のラストで、鮮やかな情景のなかで一歩前に進む恵里菜にきっと心を打たれます。

 

『自分の感情を大切にして生きていこう』という勇気をもらえる素敵な1冊です。
ご興味のある方はぜひ1度読んでみてください🍄

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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