ついに完結!アニメ『進撃の巨人』後編の考察について🌻原作マンガとの違いを解説!最終回の感想

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アニメ「進撃の巨人」がついに完結を迎えました!
この記事では、次の疑問についてまとめています。

① 始祖ユミルはどうして消えた?

② 最終話に込められたメッセージは何?
③ 原作マンガとラストに違いはある?

「進撃の巨人」のアニメ最終話は、原作と違う点が色々とあって驚きました!

結末はほぼ同じでしたが、1番印象に残ったのはアルミン台詞が『地獄で会おう』に変えられていたことです。

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ミカサの選択とは?始祖ユミルはなぜ消えた?

最後の敵は「絶対に勝てない相手」

そもそも「始祖ユミル」が最後の敵とか強すぎない?

「進撃の巨人」のいわゆる大ボスは「始祖ユミル」になります。

 

エレンという考え方もありますが、結局は「始祖ユミル」がこの世を縛っている限り、巨人の力が消えることはありません。

 

1番最後に倒さないといけない敵が「始祖ユミル」

この時点で、どう考えても負けが確定してしまいます。

 

始祖ユミルは、無敵です。
『どう考えても勝てるわけがない』とアルミンも途中で言っています。

 

しかし最終的には「ミカサの選択」が世界を救う形になります。

 

始祖ユミルの正体は?

始祖ユミルは何を表してるの?

私は、最後の敵が「無敵」である始祖ユミルであることの意味は大きいと感じました。

 

進撃の巨人は、戦いの物語です。
争いが絶えるのことない私たちの世界が、そのまま投影されています。

 

無敵ともいえる始祖ユミルは、私たちの世界でいうと実態のない「争いの種」を表現しているのだと思います。

 

実態のない「争いの種」は、無限に存在しています。

① 支配欲や名誉欲

② 恐怖心
③ そして愛

特に3番目の「愛」は、昔から大きな争いに発展しやすいです。

 

日本の歴史で考えると「ずっと忠義を誓っていた存在」が代替わりしたときなどに、跡目争いが発生したりしていますよね。

 

世界では「宗教への信仰心」という形が、争いの種になることが多いです。

 

始祖ユミルの「愛の形」

始祖ユミルは「フリッツ王への愛」に縛られていました。

 

フリッツ王を超える力を持った後も、始祖ユミルは「自分の意思」に従った行動をとりません。
2000年もの長い年月の間、ずっとフリッツ王の命令に従い続けています。

 

その理由は「始祖ユミルの愛の形が”絶対服従”だったから」だと思います。

 

愛する人の考えどおりの行動をすることが、始祖ユミルの考える愛だったのでしょう。

 

たとえ自分の考えとは違うことでも、愛する人と違う考えを持ってしまえば、それは愛に背いたことになってしまう。

 

始祖ユミルは2000年もの間、とても大きな葛藤を抱えながら生きていたのだと思います。

ミカサの選択とは?

そんな始祖ユミルを変えたのは、ミカサです。

 

ミカサは、エレンのことを心から大切に想っています。
「進撃の巨人」の物語の前半では、色々な判断をエレンと共にしています。

 

最終回では始祖ユミルが、そういうミカサをずっと見ていたことも明かされています。

 

でも物語のラストでは、ミカサはエレンのことを止めます。
ミカサは自分自身の意思で、エレンの命を絶ちます。

 

でもそれはエレンを嫌いになったからではなくて、大切だからこその決断です。

エレンのことは変わりなく大切に想っているけれど、自分自身の意思でエレンを止めたミカサ

始祖ユミルは、ミカサの一連の行動を見たとき。


愛することは「愛する人に言われたとおりの行動をとり続けることではない」と、受け止めることができたのでしょう。

 

始祖ユミルにとって「永遠の時の中」で巨人を作り続けること。
それは「長い悪夢だった」と表現されていました。

 

最終的には始祖ユミルも、愛に縛られることなく、自分の意思で行動した。
その結果、始祖ユミルの長い時間も終わりを迎えたのだと私は思いました。

「盲目の愛」への警笛

私は最終話では「盲目の愛」への警笛も含まれているのではないかと思いました。

 

先ほども書きましたが、世界の争いの大元は「宗教や異文化の違い」であることが多いです。

 

「宗教への信仰心」は、決して悪いものではありません。
今を生きる私たちにとってはとても大切で、重要な存在です。

 

ただ「神のために」という争いは、数え切れないくらい起っています。
そして、そういう争いには答えがありません。

 

争いの種は、宗教への信仰心だけではありません。
誰だって「自分だけの信念」や「価値判断の基準」を何かしらもって生きています。

 

自分の信じるものを大切に考えること

それと同じくらい「自分の良心に従って自分の意思で行動すること」も忘れてはいけない大切なことである

 

「始祖ユミル」の最期には、そんなメッセージが含まれているように私は思いました。

 

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ミカサとエレンの結末について

ミカサとエレンの最後のシーン

あと最後のミカサの選択ですが。

 

私は原作34巻で、エレンとミカサの最後のシーンを見たとき。
「私がミカサならこの選択はできないだろうな」と思いました。

 

最終的に止めることはできるかもしれないけれど、顔を合わせてすぐに斬るなんて、普通はできないように思います。

 

顔を見たら、やっぱり「最後にもう1度話したい」という気持ちにならないのかなと思っていました。

 

でもミカサとエレンは、きっと私の想像よりも多くの時間を、あの山小屋で過ごしたのだと思います。
エレンとアルミンも、かなり長い時間を旅していました。

 

私たち視聴者には、エレンの最後の時間は、アルミンとの時間のほんの一部しか明かされていませんから。

ミカサの「いってらっしゃい」の意味は?

ミカサのエレンへの最後のセリフは「いってらっしゃい」です。
このセリフは「進撃の巨人の第1話」へループします。

 

第1話は、100年ぶりに巨人が町に攻め込んでくる日です。
エレンにとって「長い長い戦いが始まる最初の日」です。

 

自分が最期に聞いた大切な人の「いってらっしゃい」を自分自身へのエールのような気持ちで届けた

私はそんなふうに思いました。

 

ちなみにエレンは始祖の力を持っているので「過去・現在・未来」に影響を及ぼすことができます。

 

といっても歴史は変えられないので「ちょっと遊びに行く」くらいのイメージなんだとは思います。

 

ミカサは、エレンの能力を理解していたからこそ「いってらっしゃい」と伝えたのかは分かりません。

 

「本当の意味で自由になってほしい」という願いを込めて、エレンに「(新しい世界へ)いってらっしゃい」と伝えたのかもしれません。

 

どちらにしても、最後の言葉に込められているのは「ミカサの愛」しかありません。

 

心のこもった素敵な台詞だなと、私は思いました。

マフラーを巻いてくれてありがとう

またラストには「もう1度会いたい」と呟くミカサに、1羽のカモメがマフラーを巻きに来てくれるシーンがあります。

 

始祖の力をもつエレンは「未来」を見ることができます。
最後にヒストリアが言っていたように、一定の先の未来までエレンは知ることができました。

 

ラストのカモメは、エレンの生まれ変わりというよりは、エレン自身が未来を訪れていたということなのかなと私は思いました。

 

エレンはミカサに「マフラーを捨てて欲しい」と伝えていました。

 

それを巻きに来てくれたということは、

忘れなくてもいいけれど、幸せになってほしい

改めてそういう気持ちをミカサに伝えに来たのかなと、私は解釈しました。

 

ミカサも、最後は笑顔で「ありがとう」と伝えています。

 

悲しみにくれるだけではなくて、これからミカサ自身も、未来に向かって1歩踏み出していくことが想像できる。
そんな素敵なラストだなと思いました。

 

また『マフラーを巻いてくれてありがとう』は、ミカサにとっては『あなたを愛しています』と同じ気持ちが込められています。

 

直接言葉を交わすことはなくても、お互いの気持ちを確かに受け取ったということが分かるとても綺麗な場面だと思いました。

 

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「進撃の巨人」に込められたメッセージ

この物語には、

『残酷だけど美しい世界』=『私たちのリアルの世界』

を生き抜く上での大切な考えが、たくさん描かれていると思います。

 

進撃の巨人は、戦いの物語です。

戦うことと、愛すること

その2つの大切さが、物語全体を通して描かれていると思いました

 

時代とともに、戦うことの意味合いは変わりつつありますが、戦わないといけないときは誰にでもあります。

 

戦わずしては何も手に入れられないし、何かを守ることはできません。

 

戦うことは必要だけど、過去の過ちを繰り返すことは避けなければいけません。

この世から争いはなくならない

進撃の巨人の最終話で描かれていたのは「たとえ巨人の力が消えても世界から争いはなくならない」ということです。

 

最終話では、

いつの時代も、争いという間違いは繰り返される

ということが示唆される形で終わりました。

 

ちなみにこれは、原作漫画のほうが分かりやすく描かれています。

 

原作34巻でも、アニメのエンディングと同じように「数十年後の未来」が台詞のないコマで表現されています。

 

そこには「人類が再び争いの渦に巻き込まれている様子」がはっきりと描かれています。

「話し合い」と「思いやり」の大切さ

「進撃の巨人」では、争いを繰り返さないためには、

話し合うこと

理解することを諦めないこと
他者を愛する気持ちを持つこと

が大切だというメッセージも込められていました。

争いがなくならないなら努力しても意味なくない?

と思うことは危険だということが、はっきりと描かれています。

 

「進撃の巨人」では、物語の冒頭で登場するマルコが

僕たちはまだ何も話し合っていないじゃないか...!

というセリフを残してこの世を去ります。
このセリフは、ライナーの心にずっと残り続けました。

 

また物語の後半では、アルミンが

話し合おう

という言葉を、何度も口にします。

 

またハンジさんが「マーレ勢」と「パラディ島勢」を取り持ったからこそ、最終的には「巨人がこの世からいなくなる」という結末にたどり着くことができました。

 

争いを繰り返さないためには、

話し合うこと

理解することを諦めないこと
相手への思いやりを忘れないこと

これらの大切さと「その結果がもたらすもの」が、物語全体を通じて丁寧に描かれていました。

 

人にはそれぞれ役割がある

進撃の巨人は「戦いの物語」だと思います。

人にはそれぞれ役割があり、果たさなければいけない使命がある

そういう世界観がある物語です。

 

ときには自分の命を、ときには大切な誰かの命を犠牲にしなければいけないときさえあります。

 

物語ででてくる『戦わなくては勝てない』

 

最後は攻撃的な意味で使われていましたが、これは間違いではないと思います。

 

戦わないと、何も得られないし、何も守ることができません。

この世界は大変だからこそ、私たちは頑張って生きていかないといけない

そういう強いメッセージを私は感じました。

 

何のために生きているのか?

そうはいっても、戦い続けるということは大変なことです。

 

たとえ戦い方は違っていても、私たちが生きている世界も残酷な側面が必ずあります。

 

生きている以上は、辛いことも多いです。
というよりも、辛いことや大変なことのほうが多いように思います。

 

じゃあ、私たちはなんのために生きているのだろう
どうせ、最後には命が尽きるのだから

最終話では、ジークの問いに答える形で、この疑問についての1つの答えも描かれています。

 

何か大きなことを成し遂げなくてもいい
なんでもない一瞬でも、自分が幸せだと感じる瞬間があるのなら、生まれてきた価値は充分にある

 

この世界は美しい

進撃の巨人では「残酷な世界における美しい部分」がたくさん表現されています。

 

・ 役割を全うすること
・ 自分のためにや誰かのために、

  戦わなくてはいけないときは必ずあること

そのどれもが、この世界を生きていく上では大切なことだと思います。

 

でも、それと同じくらい『この世界にある美しさを感じること』もとても尊いものなんです。

 

アルミンのように、何気ない一瞬に幸せを感じたり。
ミカサのように、誰かを深く愛したり。

私たちの日常には、この世界の残酷さをはるかに上回るくらいの美しさが、本当は存在しているのだと思います


進撃の巨人を1話から通して見ると、最後のアルミンの台詞にはきっと胸を打たれると思います。

 

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原作とアニメの違いについて!

アニメ完結編(後編)における原作との大きな違いは、次の2つです!

① アルミンとエレンの最後の会話

② リヴァイ兵長のラストシーン

私はどちらも素晴らしいアニメオリジナルだと思いました。

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アルミンとエレンの会話について

アニメでは、原作の伝えたかったことがより分かりやすくなるように、アルミンのセリフがかなり増えていました!

 

なんというか、視聴者が誤解しないように、色々と補足されていたという印象です。

 

正直、原作のまま放送して大丈夫なのかなと私は思っていました。

 

エレンは結果的に、人類の8割を虐殺しました。
それは自分にとって大切な「パラディ島の仲間たち」を守るためです。

 

でも、人類の8割を虐殺するのはどう考えても「悪」ですよね。
それが原作でははっきりと描き切れていなかったと、私は思いました。


なぜならエレンが行動しない限り、パラディ島は滅ぼされる運命しかなかったからです。

 

実際に、

やらないとやられるのなら、エレンの行動は仕方ない

と受け取る人もいるのではないでしょうか。

 

でも『それではいけない』ということを「進撃の巨人」では伝えたかったのだと思います。

 

戦わないといけないときは、必ずあります。

 

でも「やられる前にやらないと」を繰り返していては、いつまで経っても同じことの繰り返しです。

 

「進撃の巨人」では、エレンの選択以外に『じゃあどうすれば良かったのか』という部分は描かれていません。

 

それを視聴者に投げかける形で、終わっている作品なんです。

 

争いを繰り返さないためにはどうすれば良いのか

エレンはどうすれば良かったのか
何が正しかったのか

これを考えよう、これを考えることが大事なんだよ、というメッセージが根底にある作品です。

 

このメッセージを伝えるために、アニメでは「エレンもアルミンも地獄行き」という結末が用意されました。

 

私は少しショックでしたが、まぁやむを得ないだろうなと思います。

原作でのアルミンの台詞

僕たちのために殺戮者になってくれてありがとう

原作では、アルミンはエレンとの最後の時間でこのセリフを伝えます。

 

このセリフだと、アルミンはエレンの犯した罪を「殺戮者」という冷たい言葉に置き換えています。

 

アルミンは『エレンは許されないことをした』と考えています。

 

でもそれしか方法がなかったことを、アルミン自身が認めてしまっているような印象を受けます。

 

エレンは殺戮者だけど、アルミン自身はそれを受け入れてずっと友達でいる

そういう友情が描かれていると受け取られかねないと、私は思いました。

 

アニメでのアルミンの台詞

人がいなくなれば争いは起らないなんて冗談、真に受けるやつがいるのか!?

僕も同じだ。君に外の世界の本を見せたのは僕だ

地獄で会おうエレン。僕たちはずっと一緒だ

私は、アニメ版のアルミンの台詞のほうが何倍も良いと思いました。

 

全ての台詞が『エレンの選択は仕方ない』と思ってしまう人に向かって、突き刺さる内容になっていたと思います。

 

原作では、殺戮者であるエレンと、それを止めるアルミン。
2人の立場は違っているような印象を受けます。

 

でもアニメでははっきりと『地獄で会おう』と伝えています。

 

エレンの大虐殺の最初のきっかけは「壁の外の世界に憧れたこと」です。

 

そしてそのきっかけをつくり、エレンの行動に拍車をかけたのはアルミンだと、アルミン自身が伝えます。

 

僕は英雄なんかじゃない
僕たちは共犯者なんだ

という意味合いで伝えています。

 

2人の行き着く先が地獄であることは、エレンとアルミンの共通の認識になっています。
『地獄で再会しよう』とはっきり言ってますからね。

 

人類の8割を虐殺するなんて行動は「それしか方法がなかった」なんて言葉で納得されるレベルではないんです。

 

それくらいエレンの罪は重いということが、表現されています。

でもそんなのひどくない!?

と思った方。
その感情が正しいんだと思います。

 

頭ではきっと理解できます。
でもエレンもアルミンも、地獄に突き落とされるような人物では決してないですよね。

 

だからこそ、考えることが大切なんです。

 

エレンはどうすれば良かったのか。
アルミンはエレンをどう導けば良かったのか。

 

考えること

話し合うこと
相手に歩み寄ろうと努めること

 

これらは、私たち人間に与えられた最大の武器です。
戦わないといけないときは必ずあるからこそ、これらを決して忘れてはいけない。

 

そういう教訓が「地獄」という言葉を使ったからこそ、伝わりやすくなったと私は思いました。

 

リヴァイ兵長のラストシーン

リヴァイ兵長はどこが違ったの?

アニメでは、リヴァイ兵長は子どもたちにキャンディを売っているか配っているようなシーンで終わりました。

 

なんだかそれなりに楽しそうで、私はほっこりしました。

 

リヴァイ兵長は、冷たいように見えてとても優しいですよね。

 

昔から面倒見も良いし、エレンたち3人のこともずっと気にかけてくれていました。

 

アッカーマンの力はなくなっても、今後も子どもたちに慕われる未来が色々と想像できる終わり方で、私は良かったかなと思います。

 

一方で原作では、ガビとファルコと一緒にいる様子が描かれています。

 

リヴァイ兵長が本当に大切に思っていた人は、みんな亡くなってしまったので。
私は「せめて隣にハンジさんがいたら良かったのに...」と思ってしまって、少し切なくなりました。

 

ただ原作のラストも、これはこれで良かったんですけどね。

 

個人的には「進撃の巨人の世界」は、最終的にはハッピーエンドに落ち着くのではないかという希望を感じさせてくれる場面でした。

 

最終的というのが、どれくらい先かは分からないんですけど。

 

その根拠となるのが、ガビです。

 

彼女は洗脳に近い形で、色々な考えを教え込まれていました。
でも最終話では、敵だったリヴァイ兵長とともに、笑顔で町を歩いていました。

 

ガビの台詞はなかったけれど、私はその絵に少しだけ希望を感じました。

 

アニメ最終話の感想

個人的には、エレンとアルミンの最後の会話のシーンは、原作の何倍も良かったです!

 

原作の言葉を借りるなら、エレンとアルミンは同じ「殺戮者」として、最後にお互いを抱きしめます。

 

エレンは確かに許されないことをしたけれど、その罪を一緒に背負うことで、エレンを決して1人にはしない。

 

アルミンとエレンの確かな友情が、分かりやすく描かれていてめちゃくちゃ泣けました(泣)

 

本音を言うと、私はエレンは不憫すぎると思います。

 

進撃の巨人の中では、1番頑張った「エレンとリヴァイ兵長」があまりにも報われなさすぎると、個人的には思います。

 

愛する人に、命を奪われるしかなかったエレン。
最後まで戦い続けたのに、大切な人はみんな目の前からいなくなってしまったリヴァイ兵長。

 

『争いは何も生まない』という1つのメッセージなんですかね。

 

あと自分で書いておいてなんですが、私はエレンとアルミンは地獄には行かないと思っています←

 

エレンもアルミンも、自分たちの罪を嫌というほど自覚しています。

 

おまけにエレンは、自分が守りたかったサシャもハンジさんも、自らのせいで命を落とす結果になっているわけで...

 

エレンの最期を考えると、もう罰は充分受けているのではと思います。

 

エレンの行動が正しいとは思いません。
でも全体的に考えると「世界の争い」に巻き込まれた犠牲者なのでは...?と個人的には思ったりします。

 

ミカサの「いってらっしゃい」を受けて、本当に自由な新しい世界へ飛び立っていてほしい。
そんなふうに思いました。

 

また「進撃の巨人」がこれで完全に完結かと思うと、少し寂しい気持ちになります。

 

でもアニメも最後まで妥協することなく、作り上げていただいて感動しました...!

 

最終話まで見届けることができて、本当に良かったです。

 

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アニメではカットされていた原作のラストについて

ちなみに原作のラストでは、

エレンのお墓に花を供え続けるミカサ

が描かれています。

 

もちろんマフラーも巻いたままです。

 

アニメのエンディングにも、少しだけ絵が描かれていましたね。
あんな感じで原作でも、絵だけで、何十年と移り換わるパラディ島が描かれています。

 

その絵をよく見ると「ミカサとジャンが結婚したのでは?」と推測できる様子が描かれているんです。

 

ジャンと似たような髪型をしている男性と、赤いマフラーを巻いたミカサが、子どもと一緒にエレンのお墓にお花を供える様子が書かれています。

 

台詞がないので、本当にジャンなのか、また結婚したということなのかは推測でしかありません。
だからアニメでは、本当に一瞬エンディングに映すというくらいに留めたのかなと思います。

 

でも私はジャンとミカサは「一緒に生きていく」という選択をしたんだろうなと思いました。

 

ミカサは、エレンのことをずっと大切に想い続けています。
マフラーをずっと巻いていることからも、それは確かだと思います。

 

きっとジャンは、そんなミカサの気持ちを理解した上で「一緒に生きていこう」と言ってくれたのではないか。
そしてミカサも「幸せになってほしい」というエレンの願いどおりに「ジャンと家族になる」という生き方を選択したのだろう。

 

そんなふうに思いました。

 

最後の様子は漫画の最終刊で読めるので、興味のある方はぜひ原作も読んでみてください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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